池田昌起氏は、経営者一族の後継者として金属加工の会社へ入ったわけではない。19歳のときに紹介された仕事が、出発点だった。工場の存続が揺らぎ、担当する製品をどこへ移すかが話し合われたとき、顧客への供給を止めたくないと考えた。そこから、現場を動かす責任に、会社を続ける責任が加わっていく。
参照:提供取材記録提供された取材記録と公開ニュース・公式情報をもとに編集しています。会話は趣旨を保って要約し、見出しは編集部が作成しています。本稿のための追加取材は行っていません。
若い工場長が、現場で覚えたこと
取材で池田氏は、入社後に会社の事業が別の会社へ引き継がれ、自分も再雇用されたと振り返った。その後、25歳で工場長を任される。周囲には年上の経験者が多く、肩書きだけで仕事が進む立場ではなかった。
力になったのは、現場へ出て工程を理解し、顧客と一緒に改善してきた経験だったという。毎年のコスト改善に向き合いながら、作業を担う人がどうすれば負担を減らせるかを考えた。効率と働きやすさを、同じ工程の中で見ていた。
参照:提供取材記録移転する側ではなく、残る側を選ぶ
親会社が別の工場へ生産を集約する方針を決め、移せる製品と移せない製品の選別が始まった。池田氏は、従来の部品供給をそのまま顧客へ返すことに違和感を持ったと話す。前の経営者が再び事業を行うことになり、自分は工場に残って仕事を回す道を選んだ。
再出発後は、工場を見るだけでなく、資金の相談に出向き、事業計画を書くことも担った。取材では、経営者の仕事を見よう見まねで引き受けていたと振り返る。現場の責任者から会社全体を見る立場への変化は、一度の就任だけで起きたものではなかった。
参照:提供取材記録2016年、経営を引き受ける
2016年に前の経営者が亡くなり、池田氏が経営を引き継いだ。現在の公式サイトにも、供給を続ける責任から承継を決めた経緯が記されている。取材で語った、顧客に迷惑をかけたくないという考えと重なる。
公式の代表インタビューでは、その後、取引先との縁で生産方式を学び、現場で試行錯誤を続けたと説明している。自分が状況を知っているだけで終わらせず、通常の状態と異常を判断できる仕組みへ移すことが、現在の組織づくりの土台となっている。
参照:提供取材記録 / 橘金属工業株式会社/株式会社ISFC現在の会社情報から、次の役割を読む
2026年10月7日に確認した公式サイトは、橘金属工業を中核とするISFCグループの構成になっている。池田氏はISFCの代表として紹介され、橘金属工業の会社情報にも代表取締役として記載されている。記事では、この現在の表示と、取材で振り返った過去の歩みを分けて扱う。
公式の説明では、製造で培った標準化の知識をコンサルティングにも展開し、若い人が経営を経験できる場をつくる考えを示している。工場を残すために引き受けた仕事が、次に事業を担う人の場を用意する仕事へと広がっている。
参照:橘金属工業株式会社/株式会社ISFCプロフィール池田昌起 氏
橘金属工業株式会社代表取締役、株式会社ISFC代表。19歳で金属加工の現場に入り、工場長を経て2016年に経営を承継。現在は製造と関連事業を展開する。
参照:提供取材記録 / 橘金属工業株式会社/株式会社ISFC橘金属工業株式会社/株式会社ISFC参照:橘金属工業株式会社/株式会社ISFC
金属プレス加工・自動車部品製造、グループ事業の展開参照:橘金属工業株式会社 / 橘金属工業株式会社/株式会社ISFC
愛知県津島市参照:橘金属工業株式会社/株式会社ISFC
取材記録・参照情報
- Global News Asia:池田昌起 代表、19歳の従業員から7年かけ会社を再建した軌跡
公開取材記事 / 確認 2026-10-07
- 橘金属工業株式会社/株式会社ISFC:公式情報
公式情報 / 確認 2026-10-07
- 提供取材記録:池田昌起氏
インタビューの文字起こし(Notta記録) / 記録日 2026-08-04 / 確認 2026-10-07 / 主な参照箇所 04:00–10:57、16:19–19:58
- 橘金属工業株式会社:会社情報
公式情報 / 確認 2026-10-07